忘れられない涙

「次は俺かもしれない。」

ジョージフロイドさんの時間を受け、あちこちで人々がプロテストを起こしている中、一見強く立ち振る舞っていた黒人系のアメリカ人のシェアメイトが家の中庭で声を殺して泣いていた。

いつもはとても明るくて、家中のシェアメイトを笑顔にできるような素敵な彼。

そんな彼の、大丈夫じゃない。なんとかなると信じて最善を尽くしてきたけど、もう怖くてやってられないという叫びに、これまでに経験したことのないような感情を覚えました。

黒人に生まれたくて生まれたわけじゃない。怯えることなく、人目を気にすることなく、普通に生きたい。

黒人だからというだけで、警察に脅かされた経験は彼自身も過去にあり、運転中止められたらわざとにふざけて警官を笑わせて、自分は危険人物ではないということをまず知らせるんだ。と、そうやって自分は命をつないできたと、話していました。

人としてすごく尊敬している、彼のような懐の深い優しい人が、そんな思いで過ごしていることを知り、自分の置かれた環境下、制限の中での無力さを感じながらも、何かできることはないのか、繰り返し考えました。

感情的になってしまって大泣きしてしまった自分が情けないですが、まずは、映画の中だけではなく、実際にそうやって今でも差別だったり、レイシャルプロファイリングが起きていることに気づくこと、知ることの大切さを感じました。

その上で、まずは自分のまわりで間違ったことを目撃した時には、声を上げること。大切に思っている人へはその思いを伝える、見せること…。

心の中の目が開いたような感覚でした。

2020年、これまで予想外の出来事続きで大変な思いをされている方も本当にたくさんいると思いますが、今年は多くの人にとって、気づきのある年なんだろうな、少し立ち止まって、「当たり前」のことについて考えてみる、そんな時間なのかなと思っています。